認知症の人とともに

〜【1】 渡邉光子理事長が語る、これからの認知症のこと〜



日本認知症コミュニケーション協議会に関わる方々のメッセージを綴る特集。
初回は当協議会の渡邉光子理事長に「認知症ライフパートナー検定試験」設立の経緯や、認知症の知識を持つ人材の育成に携わるきっかけなどを伺います。


きっかけは実母の認知症の発症

— 多く病気の種類がある中で、なぜ「認知症」に関心を持ったのでしょうか。


渡邉 光子理事長(以下 渡邉)明治41年生まれの実母(1990年に没)が、認知症を患ったことからが始まります。当時は、痴呆と呼ばれていました。 最初の出来事は、リビングでくつろいでいる時に母が、部屋の隅に置いてあるわりあい大きな観葉植物を指さして「どなたかいらしたみたいよ」というのです。かつて母は、茶道をお教え、礼儀正しいおしとやかな人でしたので、驚きました。家族中で「誰もいない、いない」と繰り返しますが、不安そうに部屋の片隅を気にしています。

— ご本人にはみえていたということでしょうか。

渡邉 はい。しかし、「認知症のはじまり」なんだとは実感しませんでした。家族中が認知症に対して知識もなく対応の仕方も知らなかったからだと思います。知っていたらもっとやさしくできたのにという思いが、十数年たった今でも残っています。その後、認知症が進んでも私のことを「お母さん、はやく帰ってきてね」という、そんな母が大好きでした。このような経験からまず、家族やケアにあたる人、社会が基本的な知識やかかわり方の手法を知る必要があると思い現在に至っています。



「認知症ライフパートナー検定試験」誕生


— なぜ「認知症ライフパートナー検定試験」という検定試験を立ち上げたのでしょうか。


渡邉1993年にオーストラリアの施設を視察に行くので一緒にいかないかと大学の教授から誘われました。この先生なら信頼してついていけると思い、2週間近くでしたが同行することにしました。医療・福祉職、施設経営者、ジャーナリスト、建築士、異業種の意欲まんまんの人たちも一緒です。5か所ぐらいの施設(大きなものから普通の住宅の造りなどさまざま)を訪問し、必ずミーティングの時間をとってもらいました。 私は、施設の建物、インテリア、住環境にも大いに関心があったので、写真を撮っていました。「渡辺さん・・・早く」いつも走って追いついていました。
施設に訪問するとまず、認知症の人たちがおしゃれをして笑顔で迎えてくれました。そしてスタッフの人たちも笑顔でゆったり対応していました。その当時すでに認知症ケアの専門職がおり、各州に協会もあるということでした。

― 日本の介護施設とは違いましたか?

渡邉 そうですね。当時の日本の施設のケアスタッフは、いつも忙しくバタバタしながらかけずりまわっていること(今は少し改善されてきたところもあるようですが)と比較してしまいました。このゆったりした時間の流れの中で思い思いのアクティビティを通して毎日をエンジョイし、楽しんでいました。それぞれ症状(重い人、軽い人)に合わせたゲームや畑作業、絵を描くなどとても充実した毎日を送っていることが、伝わってきました。しかし、ある面ケア技術は日本の方が進んでいるように感じられました。

— 現地では認知症に特化した専門職がいたのでしょうか。

渡邉 はい。施設での1日の生活・活動の計画・運営・効果を担当していたのが、専門職の「ダイバージョナル セラピスト(気晴らし療法士)」でした。オーストラリアは、人材育成に時間とお金(行政等)を掛けて専門職を育成しています。この分野の専門教育は大学にも設置され、社会人(リタイアした人等)ボランティア育成のための研修センターもあり、実際に見学し体験(ハンドマッサージやゲームなど)してきました。その後数回、オーストラリアには研修目的で訪問し、学修したり、情報を収集したりするなど、仕事しごとに走ってきた私には、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
何としても、このダイバージョナル セラピストの理念、カリキュラム内容を日本に取り入れたい、日本に適応させるために調査・研究・分析そしてモデル研修を5年間重ねて、誕生したのが「認知症ライフパートナー」なのです。

— 「認知症ライフパートナー」と名付けられた理由はなんですか。

検定試験のテキストを作成するに当たり、ネーミングをどうするかは、重要な課題です。10以上の候補の中から検討し、最終的には、現在は当日本認知症コミュニケーション協議会の特別顧問であり認知症に関しては日本の第一人者である、長谷川和夫先生(認知症介護研究・研修東京センター 名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授等)のところに伺いご相談しました。

いろいろ話し合っているうちに長谷川先生から、「パートナーって寄り添うという意味があるんだよね。」「認知症の人や家族に寄り添って、その人の暮らしを支える」という意味もあるので、候補の中では「認知症ライフパートナー」がいいかもしれないね。」と言っていただきました。そこでわたしも合意し誕生したのが、検定試験「認知症ライフパートナー」となりました。



第1回「認知症ライフパートナー検定試験」での出来事


— 第1回検定試験において「印象深い出来事」があったと聞いていますが、どんなことですか。


渡邉第1回「認知症ライフパートナー検定試験」(2009年7月) 東京会場での出来事でした。わたしもスタッフも第1回検定試験と言うことで緊張気味で準備し、いよいよ試験受験のため900名近くの受験生が来場し、指定された教室への案内が始まりました。

私が本部で陣頭指揮をしていましたところに、50代中ごろの女性の方でしたが、急ぎ足で本部の受付に入ってきました。なに事かと対応しようとしましたら、すてきな「7色の花びらのカーネーション1本」をセロハンにつつみ赤いリボンで結んだ花束(これがとてもオシャレで素敵でした)を私に渡してくれました。




渡邉「認知症ライフパートナー」のテキストを作ってくれて、検定試験を立ち上げてくれて本当にありがとう」と一言いってそそくさと試験会場の教室の方へ立ち去りました。あっというまの出来事に驚き、お名前も聞けなかったことがとても残念でした。

試験も始まり会場全体がシーンと静かになると、「7色のカーネーション1本」をお祝と言い渡してくれた嬉しさに例えようのない感激を覚えたことを、今でも忘れることが出来ません。

 なぜ、お名前をお聞きしなかったのかとても後悔をしています。もし、この文章を読んでいただいているようでしたら、ぜひとも直接お礼を申し上げたいと思いますし、6年目となりました検定試験受験者も全国6か所の開催で2万人を超しましたこと、認知症ライフパートナー検定試験の合格者のための「認知症アクティビティ・ケア専門士」の認定制度が立ち上がったことなどなどお話ししたいです。ぜひご連絡をいただきたいと思います。



渡邉 光子(わたなべ みつこ)

一般社団法人 日本認知症コミュニケーション協議会 理事長
NPO法人 福祉・住環境人材開発センター 理事長
株式会社エスシーアイ 会長
東京都社会福祉審議会 審議委員
東京商工会議所 女性会 顧問
福祉住環境コーディネーター協会 理事 など